60%ルール





[-] 1. 100%である必要はない

誰でも間違いはある。

その1点の間違いで持ってその人を全否定することはおかしい。

ましてや、その人の人格・プライバシーまで暴くのは最低な行為だ。

(そのことをマスゴミは行なってしまった。2012年。知ってる人は知ってるだろう。)

だから、100% は求められない。

[-] 2. 0%の有用性

情報理論情報量(エントロピー)が教えてくれるのだけど、 正解率 0% の人もこれまた有用だ。 いつも「確実に」間違うこの人の真逆を行えばいいのだから。

[-] 3. 50% が無価値

で、情報理論のエントロピーはこうも教えてくれる:

50% の正答率が無価値なのだ。

と。

当たっているのか当たってないのか分からない人こそ無価値で、 それは、半分当たっている人こそが無価値、ということだ。

だから、数少ないアタリを度外れに宣伝するようなことは意味がない。 50%あたる程度では無価値なのだから。

(なお、ここで言う 50% は、重みが均等の場合を言っている。 重みが偏っている場合はまた変わってくるのは言うまでもない。 例えば、100の予想のうち99はことごとく外れたけど1つの当たりが 99のハズレを考慮しても非常に価値がある場合は、これはこれで有意なのだ。

99%の失敗と1%の成功が素晴らしいのは、その成功が無限の価値を 与えてくれるからなのだった。

だから、「x(=50)% 成功率は無価値」というのは重みを考慮して、その数値(50)は 0 < x < 100 の間でスライドするので、そこは要注意。

以下、均等は重みを仮定して話を進めている。)

[-] 4. 60%ルール

100%である必要はないが50%では無価値ということなら、「価値」の基準は 99%なのか、70%なのか、51%なのか…。

僕としては 60%ルールを取りたい。

40%間違ったっていいじゃないか、ということだ。

(成功・失敗でいうなら、99%失敗でもいいじゃないか、ということだ。)

確か、ピーター・リンチは、株の予想を 40% は外していたと言う(^_^;

それでも利益が出たのだから、10銘柄中、4銘柄失敗してもいいじゃないか、ということだ。

副島氏もよく予想を間違える。でも、60%当たっているならいいじゃないか、ということだ。

中村氏の野口氏批判( http://iiyu.asablo.jp/blog/ )も、 野口氏の論の弱さを指摘しているという点では有用なのだけど、 それ一点だけを延々と言い続けるのはちょっとフェアじゃないかなぁ、 と思うのだけど、言い過ぎだろうか?

60%ルールって、そういうこと。

別の言い方をすると「ポジティブ・シンキング(Positive Thinking)」。 ただ、100% である必要はない、っていう点が僕が敢えてここで 言っておきたいことかな。

暗黙知の次元や科学・技術の進化とも関連する考え方ではないかな、 と思っているけど、詳しい考察はまたの機会としたい。

ご理解いただければ幸いです。






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